「そこそこ」じゃダメ。おでこを出して、突き抜けよう。
自分を隠さずに全部出す。⇒受験を突き抜ける方法も同じです。
“そこそこ芸人”だったかまいたちを突破させた、芸人界で受け継がれる「つき抜け法則」とは
サノ: 本日はよろしくお願いします! 今回は、ここで自分たちはつき抜けたなと思う瞬間についてお聞きしたいと思います。
山内さん: 僕は、「デコだし」をした瞬間でしたね。 ここで明確にワンステージつき抜けた感があります。 僕、もともとずっと前髪を下ろしてたんですけど… おでこを出すようになったらマジで流れが変わったんです。 「歌ネタ王決定戦」で優勝したりとか「キングオブコント」で決勝進出したり、ステージが変わる出来事がどんどん起こりはじめて。それまでは、本当にずっと停滞してたんです。
髪を垂らしていた山内。長い低迷期があった。
「全部出す」。“そこそこ芸人とつき抜け芸人”を分けたもの
濱家さん: でもたしかに、山内の「おでこ出す」ってわりと芯食ってるよなと僕も思うんですよね。 大阪から東京に進出したときに“全部出す”って意識に切り替えられたことが、僕らコンビにとってターニングポイントだったんで。
サノ: 全部出す?
濱家さん: 正直、僕らは大阪でそこそこ「芸人として満足できちゃってた」んですよ。 食うことにも困ってないかったし、街歩いてたら声かけられたりチヤホヤしてもらったりもしたし。ずっと同じレギュラー番組で、同じような仕事を5年~7年くらいやってたんですけど、「もっと上に行くねん俺らは」「いつかは東京で」みたいな意識もある一方、わりと現状に満足して“こなしてる自分たち”もめっちゃいて。 でも山内がおでこ出して(笑)、キングオブコントに優勝して、東京に進出することになって…仕事内容がガラッと変わった。 今までは同じようにこなしてた仕事を、「この一回に懸けて、全部出す」って意識がめちゃくちゃ強くなったんですよ。
サノ: こなしていたところから、また「必死モード」になれたと。
濱家さん: もちろんそれまでの仕事も手抜いてたわけじゃないですけど、フルスイングはできてなかった。 当たり前ですけど、「思いっきりやるヤツ」じゃなきゃMCの方も共演者の方も助けてくれないし、面白いとは認めない。および腰なヤツに「もういっちょ振ったろか」なんて思わないじゃないですか。中堅ぶらずもっかい「全部出す」ようになったことで、まわりの人が助けてくれるようになったっていうのはあると思うんすよ。そこが変われた要因かなとは思いますね。
山内さん: で、今の話のすべてを集約してるのが「おでこ出し」なんですよ。 僕はノブさんから言われましたけど、ノブさんはピースの綾部さんから言われたらしくて。これって、すごい先輩方から脈々と引き継がれてる法則なんですよね。 だから髪を下ろしている後輩にはめっちゃ言ってます。「とりあえずおでこを出したほうがいいんちゃう?」って。
目で見て、手で書いて、口で読んで。体に染み込ませたら自然と頭に入ってきて、問題も解けるようになっていったんです。○ゆりやんレトリーバーさんの大学受験
そして、教科書を読めばいいんや。これはまさに、なる塾の学習方法そのものです。人が本気で受験に向かう時の勉強法です。だから後は、あなたが本気になること。がむしゃらに、ひたすらに、合格を目指すこと。 毎日塾に来ても、2時間、3時間きちんと勉強すれば予定終了、ではなくて、必ず成績を伸ばして志望校に到達するんだ、という思いで勉強しましょう。その時、奇跡は起きます。
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失恋で決めた受験 落ち着いていきや~ ゆりやんさん
■受験する君へ 高3まで、大学へ行く気はありませんでした。卒業したら芸人になるつもりだったので。でも、夏休み前に好きな男の子ができたんです。 1学年下のカッコいい野球部員。 その男の子に「すごい」って言わせたい。見返すために、「関関同立」をめざすことにしました。 中学のときから、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出ているマイケル・J・フォックスのファンでした。アメリカや英語、映画に興味があり、大阪への憧れもあったので、関西大学の外国語学部か文学部へ行けたらと思いました。
■なりきったらできちゃった でも、成績はめちゃくちゃ悪かったんですよ。勉強はまったく頑張らなかったし、塾にも行っていなかったから。勉強の仕方をよくわかっていなかったんです。
日本史の問題集をやり始めたけど解けない。本当に、なんにもわからへん。あっ、そうだっ、教科書を読めばいいんやと気がついて、それから通学する電車のなかでも学校でも、とにかく教科書を読み込むようにしました。 ミミズみたいにテキトーな字で、ノートに丸写しもしていましたね。
目で見て、手で書いて、口で読んで。体に染み込ませたら自然と頭に入ってきて、問題も解けるようになっていったんです。
自信や達成感を持つために、使い切ったノートは捨てないようにしていました。ノートの裏表紙をそろえて、のりとテープで貼りつけて分厚い本みたいにしていくんですよ。そうしたら、こんだけやったから大丈夫やって思えた。
■合格発表はパソコンで見ました。あ~、ある~って。受かった手応えはなかったので、ほんまにうれしかった。 みんな、落ち着いていきや~。(聞き手・篠塚健一)
時々、こんなことを思います。もしも自分が芸術の天才とかで有名になったとして、それは
幸せなんかなあ? と。
どっちかって言うと、なりたいというより「仕方ない」って気持ちじゃないのかな。
才能のことを英語で“gift”といいます。「贈り物」のギフトですね。才能があるというのは、神様が自分に与えてくれたものだ。それは、神様が私に、「君はこういう役割を社会の中で果たしなさい」と、無言のうちに指し示してくれているんだと、考えられないでしょうか。
有名無名に関わらず、どんな職業においても、仕事をきちんとしている人は、そのことを心のどこかで自覚できているのではないでしょうか? 富も名声も、あったほうがいいけれども、それよりも、「自分は神様に与えられた役割を果たしているんだ」という、ささやかだけれど確実な手ごたえがあることの方が、ずっと大事なことではないか?
スターでも才能の塊でもない私も、そんな何かの役割を果たすために今、この仕事をしているのだと思います。そうなると、自分に才能があるかどうかとか、それがやりたいことなのかどうかなんて、たいしたことではないと思えてきます。
その「役割」は、誰にでもあります。そして、今やってることが、結構その役割なんじゃないかなあ。「自分の好きなことをやりなさい」と言われると、どうしていいかわからないけど、今やってる仕事の中で、そんな役割を見出そうとすればいい。
ものすごくシンプルな話ですが、「働くというのは、誰かのために何かをしてあげられること」で、それは楽しいことなんだと、そこから始めるといいような気がしてきました。
もっとも、今学生のあなた達は、自分の『役割』が見えにくくて、モヤモヤしているかもしれません。私はこう言います。「いずれ近いうちに出会うはずの、自分の『役割』は何だろう? と、目をキラキラさせて、今を生きていきましょう」と。